~for what reason~
はじめまして
初めまして。ケロスケです。
僕がこのブログをはじめた理由は、東日本大震災で傷つき破壊された街。未だ復興とは程遠い生活を余儀なくされ元気を失くしている人々。
震災から6年。段々と報道もされなくなり、人々の記憶も風化し、希望を持てないまま何となく元気のない現状に慣れてしまった故郷東北。
そんな元気を失くしてしまった故郷東北を「再び元気にしたい!」そう思ったからです。
これから僕がなぜその様な考えに至ったのか。それを震災後の現状を伝えつつ、紐解いていきたいと思います。
震災を経て感じた思い
ちょうど今から6年前、僕は故郷宮城で東日本大震災に見舞われました。
最大震度7。激しい揺れと共に街を津波が襲い、石巻を中心とする沿岸地域では本当に多くの人の命が失われました。
史上稀に見る大規模災害で老若男女たくさんの方が亡くなり、その中には僕の知り合いも含まれています。
あれから6年。人口の多い市街地での復興は目をみはるものがあり、震災があったことなどまるで感じさせない景色が広がります。
ですが、その一方で人口の少ない市街地以外の復興は未だにほとんど進んでおらず、震災によって破壊された街は、いま尚、震災当時のままです。
人口の多い地域を優先することは政策上仕方が無いということは頭では理解できますが、荒れ果て復興の進んでいない地域を見るたび、どうにもならない憤りを強く感じます。
さらに、僕の妻は福島の沿岸部の出身であり、お盆や、お正月などの帰省時に、現住所である仙台市から福島へ行き来するのに国道6号線を通ります。
この国道6号線を南に下って行くと、やがて、原発事故で帰宅困難地域に指定されている場所に着きます。かつて放射能汚染の影響で数年前まで通行不可能だった場所です。
今は交通規制が緩和され、自動車(2輪車は不可)で通ることが出来るようになったこの地ですが、はじめてこの6号線を通ったとき、僕は愕然(がくぜん)としました。
街並みのたたずまいは震災前となんら変わっていないのに、人が全くいない。
6号線から脇道への入口は頑丈なフェンスで仕切られ、警察官と警備員の方が見張りに立っています。
民間人の全くいない違和感。
人がいなくなった数十キロもの広大な範囲。
これらを目の当たりにしました。
こんな広大な範囲に住む人たちの生活が失われたにも関わらず、未だに残留放射能の問題や、被害を被り帰宅の目途が立たない人たちへの生活補償なども明確な回答が出せずおざなりなまま。
この地への帰宅をあきらめ故郷を失った方たちの言いようも無い怒りと悲しみ。それを思うと辛くなります。
これら故郷東北の現状を日々目の当たりにし、「東北復興のために自分に何が出来るか?」を考え、それを行動にうつすことにそう時間はかかりませんでした。
「この故郷の悲惨な現状を打破するため東北について多くの人に知ってもらいたい!」
「震災に打ちのめされた人々にパワーを分けたい!」
そんな思いから、今回、協力してくれる仲間たちと共に、このブログを立ち上げました。
合言葉は「東北復興!」
みんなの思いはただ一つ、「東北復興!」です。
このブログが東北復興の一助となれるよう、皆で真剣に考え情報発信していきます。
微力で未だ何の力も持っていない自分ですが、東北復興のため、 ”東北の良いところ” 、”東北の魅力” を熱い想いと共に随時発信し、東北復興の一助となるべく頑張っていきます!
PS、、、
このブログでは一方通行の情報発信に陥らないよう、僕を含めたライターさん達と、記事を読んでくださった読者さんとの繋がりを深めたいと考えています。
双方向でコミュニケーションを取ることで、さらに東北の魅力を掘り起こし魅力ある情報を提供できるようになると考えるからです。
あなたが人に伝えたい情報、ブログに書いて欲しい想い、それらを是非僕達にも聞かせてください!
共感してくださる方は、気軽にコメント欄にコメントください。
1文字。1文でもけっこうです。
あなたからいただいた貴重な情報。それを元にライターが記事を書き上げます。
繰り返しになりますが、このブログを東北復興の一助となるよう、双方向コミュニケーションの場として活用していきたいのです。
みなさんの熱い想いを見てくれる人が増えれば増えるほど、東北への人々の関心が向き、やがてそれが東北復興への大きな力になると僕は固く信じています。
どうか僕に力をお貸しください!
未熟者の僕ですが、故郷東北のため精一杯がんばって更新していきますので、皆様の熱い応援を是非お願いいたします!