「二本松」と聞くと、毎年秋になると「今年も二本松で菊人形まつりが始まりました」というニュースを思い出します。
あとは、まだ少女の頃にどっぷりハマって読んで泣いた「智恵子抄」の世界。
地元の方にはとっても失礼なのですが、千葉生まれ埼玉育ち東京在住のわたしは、その程度の知識しかありませんでした。
みなさんは、どんな印象を持っていますか?
でもちょっと調べてみると、二本松城は日本100名城のひとつだし、智恵子の生家の保存状態も良さそうだし、智恵子記念館もあるし、とっても面白そうです。
これは、城好き、旅行好き、読書好きのわたしの大好物!早速行ってみました。
ただの観光スポットと言ったら申し訳ない、悲劇の舞台となった二本松城と「智恵子抄」の悲しくも美しい世界をご紹介します。
散策してこそわかる、二本松城は小高い山に作られた素晴らしい城!
二本松城は、現在では「霞ヶ城公園」として整備されています。現存する櫓や門をはじめ、本丸などは全て復元されたものです。
復元物かと残念がらないでくださいね。その姿は美しく、迫力満点です。桜の時期は、とても見事だそうです。
城址内は自由に散策できますが、わたしが行った時期は菊人形を飾る準備をしていたので、至る所で工事をしており、少し残念な状態でした。
『二本松の菊人形』は、毎年10月中旬から11月下旬に開催されますので菊も一緒に見たい人はその時期に、ゆっくり城を見たい人はその前後の時期を避けて行ってみてください。
二本松城は「白旗が峰」に築かれた城で、最初は畠山氏によって作られました。豊臣秀吉の時代には会津藩の支城となるなどの歴史を経て、江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となりました。
丹羽氏の時代に作られた庭園は、城内の茶亭やるり池、大きな傘を広げたような樹齢300年を超える傘松などに名残を見ることができます。
城址内を歩いて分かることは、「日影の井戸」や引かれた用水など、水が豊富にあることです。これは、何日でも籠城できそうな守りが固い城ですね。
なお、丹羽氏は守りを固めるために、城の目の前を通っていた奥州街道を現在の二本松駅方面を通る様に迂回させるなど、いろいろやらかしてもいます。
本丸跡は見晴らしがとっても良いということですが、わたしが行った時には残念ながら補修工事中で立ち入り禁止でした。本丸跡からは、安達太良山も阿武隈川も良く見えるそうですよ。
二本松城は悲劇の舞台。戊辰戦争はここでも若い少年の命を奪った!
二本松城に入る手前に、「二本松少年隊群像」があります。
これは、戊辰戦争の時に若く、いえいえ幼くして命を落とした少年たちの像です。
戊辰戦争と言うと、わたしは「鳥羽・伏見」「上野」「会津」「函館」が戦場だったと思っていたのですが、それだけではなかったんですね。
日本史をもっとちゃんと勉強しておけばよかったと、この歳にして痛感しました。
会津藩では「白虎隊」と名付けられた少年兵が戦いましたが、ここでも同じように少年たちが戦争に出て命を落としました。
通常、出陣するのは元服を終えた数えで15歳(ざっくり満14歳)以上ですが、二本松藩では緊急時に実年齢より2歳高い年齢で出兵の許可する制度があったため、中には今の12歳で出陣した少年もいたそうです。
12歳といったら、小学校6年生とか中学校1年生ですよ!
戊辰戦争時、二本松城は藩兵の大半が白河口の戦場に行っている隙に、新政府軍に襲われました。
二本松城から丘を越えたところで戦っていた少年たちは、城内に残った重臣たちが自刃したことを知らずに戦い続け、次々に命を落としたのだそうです。
今は桜や菊に彩られている二本松城は、実は悲劇の舞台だったのです。
智恵子が愛した故郷で、「智恵子抄」の世界へどっぷり浸かる。
”あれが阿多多羅山(あたたらやま)、あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、うつとりねむるやうな頭の中に、ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。”
これは、高村光太郎著の「智恵子抄」の中にある「樹下の二人」の冒頭の一節です。
有名なので、ご存知の方の多いのではないでしょうか?
「智恵子抄」は、国語の教科書に載っていたものもありますね。
二本松には、その智恵子さんの生家が残っています。
この中は見学できるので、入ってみてください。当時の雰囲気がそのままに残っています。
また、この裏には「智恵子記念館」があります。智恵子さん自身も芸術家であり、病に侵されてからも数々の作品を残しています。
彼女の人生を振り返りながら、たくさんの作品が見られるのはうれしいことです。
智恵子さんが愛していたもの、愛していた人、愛していた場所、そして愛されていたことがとっても良くわかります。
智恵子記念館の開館時間は午前9時から午後4時30分まで、水曜日はお休みです。
もし時間があったら、智恵子記念館から「智恵子の杜公園」まで足を伸ばしてはどうでしょう。ハイキング気分で歩けます。
ここは鞍石山と呼ばれ、頂上には展望台があります。天気が良ければ、安達太良山も阿武隈川も見えますよ。
まとめ
「東北の悲劇の城 二本松城と智恵子の故郷を観光」のポイントをまとめてみましょう。
- 二本松城の立地は素晴らしいので、城址内は歩いて楽しみましょう
- 二本松は戊辰戦争で少年たちの命も散った激戦地だった
- 「智恵子抄」の世界に浸るなら、「智恵子の生家」と「智恵子記念館」へ
以上が、わたしのおすすめです!
もし両方を観光するには、電車をご利用の場合はアクセスに不安があります。
二本松駅から二本松城までは徒歩20分程度ですが、二本松城から「智恵子記念館」までは3km程度なのでタクシーを利用するのが無難です。
タクシーでも1,000円台だったと記憶しています。二本松駅や二本松城の観光案内所にタクシー会社の電話番号が掲示されているので、携帯電話にメモしておくと便利です。
最後に、おみやげを買うなら玉嶋屋の玉羊羹をオススメします。
それでは、二本松に行ってらっしゃ~い!