東日本大震災から丸5年が経ちました。
僕の住む東北地方。とくに沿岸部の被害は、ことさら大きくその爪痕(つめあと)は未だに深く残ります。
この記事では可能な限り思い出せる範囲で震災当時の記憶をたどり、震災の様子や、いろいろなモノが機能しなくて不便したことから、
大地震が起きた時、避難の際に本当に必要になる持ち物を、僕の体験と併せて書き綴っていきます。
震災当時はいろいろなモノが無くて本当に不便しました。
今後、また来ないとも限らない大災害に備え、この記事を参考にしていただき防災への備えをしていただくことを切に願います。
1. 地震で避難する時に必要な持ち物は、10種類
東日本大震災を経験した僕の実体験を元に、震災時に絶対必要となるモノを大きく分けて紹介すると、
- ジャンパーなどの防寒着
- 携帯電話以外の連絡手段
- ロウソクなどの明かり
- ラジオなど情報受信手段
- コンロとインスタント食品
- 飲料水や生活用水
- 日々の食べ物
- ガソリンと携行缶
- 自転車などの機動力
- 娯楽など持て余した時間を埋めるモノ
です。これらのモノがどれくらい必要になってくるのか?
それをこれから、僕が震災で体験したことと交えつつ紹介させていただきたいと思います。
2. 地震で避難する時に必要な持ち物〜僕の東日本大震災体験談とともに
1. 地震発生〜当面をしのぐ
6年前のあの日。
僕は、東日本大震災で最大震度(震度7強)に見舞われた宮城県栗原市で仕事をしていました。
【宮城県栗原市の場所は、こちら】
その日は、3月に入ったにも関わらず、東北とは言え、とても寒く雪が降っていました。
勤務していた会社は、15時に休憩があるのですが、
“あと2時間で帰れるなぁ”
“週末は、何して過ごすかなぁ~”
なんてノンキに考えていたときに、突然大きな音が鳴り響きそれと同時に、今までの人生で経験したことがないぐらい地面が激しく揺れはじめました。
揺れから数秒して誰かが叫びました。
「逃げろっ!、早く逃げろっ!!」
それまでの人生で、地震が怖いと思ったことは、ただの一度もありませんでしたが、この日の揺れは、僕の脳裏に一瞬で、
「ヤバイっ!!すぐに逃げろ!!」
と、動物的ともいえる激しい恐怖の信号を送りました。
考えるよりも早く体が反応し、反射的に動いて慌てて外に逃げました。
外に出て道路を見ると、アスファルトにヒビが入っており、そのヒビが、どんどん、どんどん地震の揺れで大きくなっていくのが分かりました。
会社の出入り口にはフォークリフトが入れるように、とても大きいシャッターがあります。
鉄の鋼材などがぶつかっても凹まないように、厚みを持たせた頑丈なシャッターです。
大人10人で押してもピクリとも動かせないんじゃないかと思えるほど大きく重く頑丈なシャッター。
その頑丈なシャッターが、その地震の揺れで、まるでダンボールででも出来ているかのように。
「バンバン!、バンバンっ!」
と振れ、枠から外れ暴れるように激しく揺れていました。
社内では、備蓄していた鋼材や、本棚、工作のための機械なんかがバタバタと倒れ、何百kgもあり人力では微動だにしない重たいものが、張りぼての紙で出来ているかのごとく、激しく揺れたり倒れたりしています。
その光景に、何も出来ないまま、僕はただただ恐れおののいていました。
「長い長い、ながいっ!いつまで経っても揺れが収まらない!」
「なんなんだ、この地震は!?いま、現実にこんなことが起きているのか?」
「これは夢なんじゃないだろうか?」
そう思わせるのに十分なぐらい、それまで経験した事のあるどんな地震よりも大きく、現実ばなれした激しい揺れでした。
「今日で地球は終わる。崩壊するんだな・・・」
その時はホントの本気でそう思いました。
それまで地震が平気だった僕ですが、あの時は地震が ”死ぬほど怖い” と生まれてはじめて思いました。
①.ジャンパーなどの防寒着
このときの経験から震災時に欲しいと思ったのは、防寒着です。
東日本大震災の日3月11日は、雪が降るほど寒い日でした。
寒くて雪が降っているような時でも、安全確保のためしばらく建物の中に入れない状態が続かないとも限りません。
震災に備え、日ごろから防寒着を建物の中奥ではなく、入り口付近など災害時でも比較的取りに行きやすい場所に置いておいたり、
車で通勤されている方は、もう一着防寒着を車に置いておくなどの工夫をすると良いと思います。
【使いどころ】
- 外気に長時間さらされるための防寒
- 落下物接触時におけるケガの軽減
- 簡易的な敷物、掛け布団に転用可能
②.携帯電話以外の連絡手段
震災時ノドから手が出るほど欲しいと思ったのは、携帯電話以外の連絡手段。
携帯電話が普及した現在ではその数が減っていますが、公衆電話なら震災時でも通話できる可能性があります。
平時から最寄の公衆電話の場所を把握しておき、震災時に備えておくことをオススメします。
あと、災害伝言ダイヤルなどの使い方も事前にチェックしておきたいところです。
【使いどころ】
- 安否確認の連絡手段
- 災害被害情報の取得
- ライフライン情報の取得
どのくらい揺れが続いたでしょう。
揺れがはじまってから終始思っていたことは、
「家族は無事か?」
この一事のみでした。
家族に連絡を取るために電話しますが、携帯はつながりません。
これは後から分かったのですが、地震でみんながいっせいにかけたために回線がパンクしていました。
「無事か?生きているのか?」
「ただ一言で良い、無事を確認したい」
家族の安否が明らかになるまで、そのことだけをずっと考えていました。
震災時は家族の安否を確かめようと、みんな必死で連絡を取ろうとします。
そのために回線がパンクし、携帯電話は通じづらくなると言うか通じません。
震災直後は、家族と連絡がとれずに本当に困っている方がいます。
携帯を使うことは契約者の権利ではありますが、それほどの用事が無いときは、回線を本当に困っている人に譲ってあげてください。
被災地に暮らすものとして、心よりお願いいたします。
2.何とか帰宅
はじめの地震が起きてからも、そうとうな時間揺れが続いてました。
「いつ収まるんだろう?」
「永遠に終わらないんじゃないか?」
「今日が子どものころ聞いたノストラダムスの地球最後の日なんじゃないか?」
本気で、そう思いました。
本当に長い時間。みんな、どうすることも出来ず、寒さに震えながらも、その場にただただ座っていました。
冗談も言えないくらい、頭の中は地震による恐怖に支配されていました。
しばらくして、上司から帰宅の命令が出ました。
「道路ちゃんと帰れるようになっているのかな?」
「家は大丈夫?壊れていないかな?」
いつも冗談を言っているような人たちでさえ、この場にいたっては冗談も出ません。
家のこと、家族のこと、明日からの仕事のこと、みんな不安に思っていました。不安を感じながらも、とりあえず帰宅することに。
家に帰るとき、道路が崩れているところ、家が崩れてしまっているところが何箇所も目に入り、その度に不安が大きくなりました。
僕の帰宅路も何箇所か建物が倒壊していて通れず、そのため迂回して遠回りして帰宅することに。
帰宅途中の信号機はついていなかったものの、田舎で普段から交通量が少ない場所なので、それほど渋滞することもありませんでした。
ただ、これだけの大規模地震にも関わらず、警察、救急車、消防車とほとんどすれ違わないことに気づきました。
街の全て。ライフラインの全てが機能していませんでした。
「やっぱり普通の地震じゃなかった!」
崩れた建物、茫然自失となっている人たちを見て、あらためてそう思いました。
「これは、当面の間。いや、相当な間」
「いや、もしかしたら永遠に・・・復興しない?」
そんな不安が頭を過ぎりました。
それぐらい何もかもめちゃくちゃになる地震でした。
震災時は、道路が陥没・隆起し、通行不能になる場所が出てきます。
日ごろから、緊急時に帰宅できるルートを何本か調べておくと良いでしょう。
3.買物ができる状況なら買っておく
地震の規模、街の崩壊具合を見て、直感的にちょっとやそっとの期間では復旧のメドはたたないであろうことと、中長期的なサバイバル生活になると肌で感じていたので、
「そうだ、必要なものを買い揃えておこう!」
そう思い、帰り道の途中にあるホームセンターによりました。
ホームセンターは幸いにして営業していました。
が、中はめちゃくちゃ明かりも消えていて、停電でレジが機能していないので会計は店員さんが電卓で計算しながら品物を売っていました。
アウトドアが好きで、キャンプの経験も豊富な僕は、サバイバルで必要になるモノを集めようと思い、懐中電灯と、ガスコンロ、電池、乾燥麺、ミネラルウォーターなど、とにかく持っている現金全てを現物に変えるくらいの買い物をして帰宅しました。
家につくと母がいて、お互いの無事を喜びました。
家に入ると案の定、倒れた棚や、落ちた蛍光灯でガラスが散乱し足の踏み場もありませんでした。
2人でせっせと片付けていると、やがて弟も帰ってきて、再び無事を喜びあいました。
生きててくれて良かった。日常そんなことは感じない感情が心の奥から湧いてきました。
4.暗闇の恐怖
時間が経ち、日が暮れてくると、あたりは闇に包まれました。
見渡す限り真っ暗です。
街頭も着かない、信号機もつかない。
田舎で普段から街明かりに乏しい地域ではありますが、それでも平常なら遠くにポツポツと見える明りが、この日は全く見えない。
時折はるか遠くから車のライトが見えるくらいで、本当に真っ暗。
真の闇とは、本当に何も見えません。
テレビも映らない。
本当の闇。
③.ロウソクなどの明かり
懐中電灯はロウソクよりも明るく照らしてくれますが、電池が切れてしまうため長時間使えません。
震災時の電池は、懐中電灯の他、ラジオや石油ストーブの着火にも使うため貴重です。
そこで活躍したのがロウソクです。
ロウソクは、ぼんやりとした明るさながらも長時間照らすことが出来、また、そのやわらかい光をぼぉーっとして眺めることで震災で傷ついた心の癒しにもなりました。
【使いどころ】
- 暗闇を照らし見えるようにするための照明
- 救助者に自分の存在を見つけてもらう
- 精神的な安定をもたらす
家には幸い仏壇があり、そこにロウソクとマッチがあったので、皿にロウソクを立て少しだけ明かりを確保することができました。
照明はロウソクと懐中電灯しかありません。
震災時は、夕方18時ぐらいになり暗闇に包まれると、照明や娯楽が何もないので時間の経過がとても遅く感じたのを覚えています。
④.ラジオなど情報受信手段
このとき、本当にあって良かったなぁと思ったのは、懐中電灯やロウソクの明かりと、ラジオ。
懐中電灯や、ラジオは、乾電池がなければ機能しません。
電池の買い置きをしておくと共に、年に1回か2回は交換しておくようにしましょう。
【使いどころ】
- 余震やライフラインの提供など災害時の情報収集
- 人の声が聞こえることによる安心感
- 長くなる被災生活における数少ない娯楽
弟の部屋にラジオが一個あったので、それを引っ張りだしてきてラジオをつけますが、
- 大きな地震があったこと
- 被害がどれぐらいになるかまだ分からないということ
- 避難場所は何処そこにいってください
の同じ情報が何度も何度も繰り返されるばかりでした。
それでも、時おり余震があり不安な夜の間中、たとえどんな情報であってもラジオを通して他の人の声が聞こえることで不安が和らぎありがたかったです。
皮肉な話ですが東日本大震災のとき、被災地以外では新聞やテレビ、ラジオなどで震災の情報がバンバン流されていました。
ですが、そのとき被災地にいた僕たちは震災の情報をほとんど受け取れていませんでした。
⑤.コンロとインスタント食品
このとき、あって良かったなぁと思ったのは、携帯ガスコンロと、乾麺、水などの食料です。
ライフラインが全て止まるので、煮炊き出来て暖もとれる携帯ガスコンロはとても重宝しました。
あと、言うまでも無く、水は必需品です。
震災時に自動販売機で一番最初に売り切れるのは、水、その次が、お茶などの味のしない飲料、甘い炭酸飲料やコーヒーなどはあまり売れていませんでした。
【使いどころ】
- 災害非難時でも調理が可能
- 照明や暖房の代わりにもなる
- 体を拭いたりするためのお湯をつくれる
震災から数日は、夜になっても余震がつづき落ち着かなかったです。
その日はサバイバルを予想し、前もって買っていたガスコンロでラーメンを煮てロウソクの明かりで3人でご飯を食べました。
その段階で無事が確認できたのは、僕、母、弟の3人だけ。
残りの家族である、単身赴任中の父、東京で暮らす妹家族、友達、恋人(今の奥さん)、携帯に何度連絡しても通じませんでした。
本当に、何度も何度も、なんどもなんどもかけました。
けっきょく家族、恋人、友達は全員が無事でしたが、
あのときの拭いようのない不安や恐れは二度と経験したくありません。
5.翌日からの被災生活
水が無い。
震災直後、まず一番はじめに困ったのがこれでした。
トイレが流せないので、お風呂に溜めてある水を使ったり、幸い家の近くには川が流れていたので、その水を汲んできて流したりしていました。
お風呂も、溜めてあった水を使い体を拭う程度しか出来ません(幸い?ほとんど汗もかきませんでしたが)。
⑥.飲料水や生活用水
飲料水や生活用水は言うまでもなく必需品です。
災害時はスーパーや商店に人が殺到し、また店側も商品の補充ができないために飲料水はすぐに枯渇してしまいます。
自動販売機なども同様で飲料水はすぐに売切れてしまいます。
ここでオススメなのが炭酸水です。震災時でも炭酸水ならいくらでも手に入ります。
ここがポイントでして、炭酸水は炭酸を抜くことで飲料水として使うことができます。
買ってからフタを開け少し時間をおけば飲料水として飲めますし、鍋にあけて煮炊きする分にはすぐに使うことができます。
【使いどころ】
- 飲料水。生命を維持するために必要
- 賞味期限を過ぎた飲料水。調理で使える
- 生活用水。雨水・河川の水も利用する
※震災時。新鮮な水はすぐに売り切れてしまいましたが、炭酸水や賞味期限の過ぎた水は手に入りました。
そういった水は飲料水には適さなくても、調理に利用できたりします。
震災から3日経ち、町内放送で”役場で給水が開始されました”との放送があり、水をもらいに行くことに。
水をもらうために、7kmも離れた町役場まで取りに行かなければなりません。
ガソリン節約のために、父親と2人、燃費の良い軽自動車に乗って街まで移動。
そのとき母が、「お店どこか開いていたら生活用品を買ってきて」と一言。
そう、お店がどこも開店しておらず買い物ができないため、備蓄していた食糧などが尽きかけていました。
街に向かう途中、コンビニエンスストアを見かけるも、まだ営業しておらず買い物は断念。
水を入れる物が無かったので、空のペットボトルを持てるだけ持って給水の長い列に並びました。
給水場所に着くと、水をもらうための長蛇の列が出来ていました。
並ぶこと、およそ30分。
制限もあり、一人につき2Lのペットボトルで2本(2人で行ったので合計8L)までしか分けてもらえませんでしたが、飲料水や煮炊きに使えるキレイな水が手に入ったのはとても助かりました。
⑦.日々の食べ物
震災直後、まず一番不安に感じたのが食料の問題でしたが、振り返ってみると栄養バランスまでは望めないまでも、空腹を感じることは無いくらいに食料はなんとかなりました。
食いどころ東北と言うこともあるかも知れませんが、家には米、漬物などの備蓄があり、インスタント食品や缶詰などは小さな個人商店でゆずってもらっていました。
【使いどころ】
- 食料。生命を維持するために必要
- 賞味期限の長いモノを備蓄しておく
- 市役所などに行けば簡易食がもらえたりする
父親に列に並んで場所取りをしてもらっている間、僕は街の様子を伺うことに、
”街は火が消えたようになり、どこもお店がやっていない・・・”
と、思いきや!
数件のお店が軒先に商品を並べて営業していました。
売り物は・・・、なんと、お肉! しかも、大量に販売されています。
「一体、なぜ?」
お店の人にそれとなく理由を聞くと、
震災で電気が来ておらず、そのために冷蔵庫が使えない。
保管していても、いずれ腐らすだけだから、そうなる前に売りに出した。
そういった理由でした。
さらに、その近くでは酒屋さんが軒先で販売をしています。
震災直後で不謹慎と言った感情と、まだ余震が続いているため酔っ払っている場合じゃないという感情からか、この日まで、あまりお酒を買う人がいなかったのでしょう。
こちらも大量に販売されています。
ここで、肉とお酒を購入した後、給水所に並んでいた父と合流し水をもらって帰宅しました。
大量の肉を見て、帰りを待っていた母と弟が大変喜んでいたのを今でも覚えています。
その日から、生活必需品は不足しながらも、お酒とお肉は大量にあるという、なんとも不思議な状況がはじまりました。
⑧.ガソリンと携行缶
このときに必要だと思ったのが、ガソリンとガソリンを入れて保存しておける携行缶。
残念ながら、そのとき我が家にはありませんでしたが、隣の家に一つあったので、それを借りてガソリンを買いに行き、持ち帰ったガソリンを家にある車4台に少しづつ給油しました。
震災時は、給油がほぼ出来ません。震災後の1週間で燃費の良い父の軽自動車で行って、一回だけ携行缶に給油することが出来ました。それぐらいガソリンは欠乏します。
また、コンビナートが被災した影響でこの後、数週間のあいだ被災地ではガソリン不足に悩まされることになります。
【使いどころ】
- 自動車の燃料
- 災害時は発電機の燃料にもなる
- 携行缶に入れてもらうこともできる
震災から数日経ってくると、だんだん落ち着きを取り戻し、電気も水道も使えない生活にも慣れてきましたが、
この時点で気になったのは、恋人の無事でした(当時70kmぐらい離れた場所に住んでいた)。
震災から2日くらい経つと、メールが何回かに一回はつながるようになり、お互いの無事は分かったものの、車で会いにいこうとするも、
とにかくガソリンが手に入らず断念するより他にありませんでした。
そう、震災の影響でガソリンスタンドは閉店しており、どこへ行っても補給できないのでした。
震災後も営業していたガソリンスタンドはありましたが、1日並んでようやく入れられるかどうか?。
しかも、一回の給油では10Lの制限つき、ガソリンの価格も高騰して”1L/500円”で販売するような業者もあらわれ。
本当にひどい状況でした。
⑨.自転車などの機動力
災害時はガソリンがなくなるため自動車などの移動手段が使えません。
ガソリンが無くても使える移動手段である ”自転車” や、一度に多くの荷物を運べるリヤカーがあると便利です。
※組み立て式のリヤカーがあれば平常は邪魔にならないスペースに収納でき、震災時に組み立てて使うことが可能です。
【使いどころ】
- 移動のための手段
- 避難生活時の運動不足の解消
- 気晴らし
ガソリンを必要とせず遠くまでいける乗り物。
そう、自転車です。
自転車があるのとないのとでは、震災時ガソリンが補給できなくなったときの機動力が全然違ってきます。
自転車があれば買い物や、連絡を取るための移動はもちろん。気力が萎え運動不足になりがちな生活も改善できます。
しかし当時、残念ながら家には自転車がありませんでした。
このときの苦い経験から、後に僕はロードバイクを購入しましたが、それが高じて後に震災復興イベントでもある ”ツールド東北” という自転車の大会に出場するまでに至りました。
6.長くなる被災生活
震災から1週間も経つと、まだ電気は来ないものの、水道が復旧し、食料が買えるようになりました(品数はかなり限定されます)。
携帯も通じるようになり、とりあえずは落ち着いた日常生活がはじまりました。
しかし、電気は未だに通じておらずテレビもPCも使えない状況なので、とにかくヒマを持て余していました。
「何もすることがない!」
人間と言うものは、安全が確保でき気持ちが落ち着いてくると、次ぎはそれまでに無かった欲求が出てきます。
また、仕事も再開していなかったので、この頃になると、とにかく時間を持て余し娯楽が欲しくなりました。
そのときの暇つぶしの方法は、
- 半日ぐらいかけて散歩する
- トランプや花札などで遊ぶ
- 隣近所の人と漫画を交換して読む
などをして気を紛らわせていたことを思い出します。
ガソリンがなくどこにも行くことが出来ないし、通勤できないので仕事も休みだし、とにかく、毎日やることが無くて辟易(へきえき)していたのを覚えています。
⑩.娯楽など持て余した時間を埋めるモノ
震災時はやれることの制限が多く、仕事が再開できないという場合もありえます。
こうなってくると、本当に時間があり余るぐらいにあるため非常に退屈になります。
しかも、震災からライフラインが復活するまでの生活というのは、大きなショックを受けている状態なので本当に気力が湧きません。
【使いどころ】
- 長引く避難生活の気を紛らわす
- 娯楽を通じてコミュニケーションが生まれる
- 電気が使えないため工夫が必要
震災から数日すると余震も落ち着き、精神的にも少しゆとりができますが、
大災害があったことや、非日常的な今の生活が受け入れられず、無気力になりがちです。
散歩や、トランプなどの娯楽を取りいれて、生活に少しでも刺激を与えるようにしましょう。
このときに思ったのが、
”電気を必要としない娯楽があれば楽しいだろうなぁ”
と、いうこと。
この経験をきっかけに、僕は電気が要らず、退屈な時間にみんなを楽しませられるようになりたいとの思いからギターを習いはじめました。
3.電気が復旧~復興へ
震災からちょうど一週間で電気が来るようになりました。
1週間電気が使えない生活って想像できますか?
人の体験で見る1週間と自分が体験する1週間では、感じ方にだいぶ差がありますが電気の使えなかったこの1週間の生活は本当に不便でした。
そのせいか、電気がきたときの嬉しさは今でも覚えています。
電気が来ると分かった日。
久しぶりの通電時に各家電がショートしないように、電気に詳しい弟と2人で点検を行ってからつけました。
テレビが見れる、家電が使える!。
こんな当たり前のことが、実は当たり前じゃないんだと思い知らされました。
震災後に電気を復旧させるときは、注意が必要です。
- コンセントや電線などに亀裂が入っていないか?
- 燃えやすいものは近くにないか?
- 感電のオソレはないか?
を念入りにチェックした後で、ブレーカーを上げるようにしましょう。
また、電気を復旧させた後も、火災・漏電の危険がないか?
を時間を細かく区切って確認されることをオススメします。
※震災停電後に電気を復旧させるのには火災・感電の危険が伴います。そんなとき ”検電器” があれば安全に通電を確認することができます。
4.忘れないで欲しい
震災から半年が経ち。
生活に必要なライフラインも9割方回復。
震災後のバタバタも少しづつ収まり。
震災など無かったかのように、生活できるようになったころ。
そんなときラジオで、震災時のこんな話が流れてきました。
3月11日の震災時。海の近くに住んでいた母子がいました。
皆さんもご存知のように、震災後、街を津波が呑み込みました。
この母子も例外ではありません。
津波が迫り、逃げるのに間に合わないと判断したお母さんは、
赤ちゃんを助けたい一心で赤ちゃんにペットボトルを結びつけました。
浮き輪代わりのペットボトル。
津波に呑まれ、母子は助かりませんでした。
震災後、捜索隊の隊員が変わり果てた母子を発見しました。
母の近くには、ペットボトルを紐で括り付けられた赤ちゃんが、
隊員が赤ちゃんを救い上げ、ペットボトルの紐を外そうとしましたが、
そのペットボトルが結ばれていた紐は、
屈強な隊員の力を持ってしても解けないほど、かたくかたく結ばれていたそうです。
「もう大丈夫だよ。苦しかったね。」
隊員が言いました。
僕は、その放送を聴いた瞬間、震災の記憶がよみがえり泣きました。
声を出して一人泣いたのはいつ以来でしょうか?
僕は、そのときに、こう思いました。
この震災の記録を忘れぬよう、いま書いておかなければならない。と、
人間って、あれほどの恐怖を味わっても、時間が経つと慣れるんです。
”忘れるんです”
あの悲惨な出来事を風化させないよう、またいずれ起きるかも知れない震災。
そのときに誰かの役に少しでもたてるのなら、そんな思いで、いま、この記事を書いています。
5.まとめ
僕の東日本大震災の経験から、震災時に必要となるモノ
①.ジャンパーなどの防寒着
②.携帯電話以外の連絡手段
③.ロウソクなどの明かり
④.ラジオなど情報受信手段
⑤.コンロとインスタント食品
⑥.飲料水や生活用水
⑦.日々の食べ物
⑧.ガソリンと携行缶
⑨.自転車などの機動力
⑩.娯楽など持て余した時間を埋めるモノ
10個を上げさせてもらいました。
これらはもちろん、あなたに絶対必要なモノとは限りません。
家族構成や、季節、住んでいる地域が都会か否かなどを鑑みて、あなたに必要なモノをここから足したり引いたりしてください。
震災から、もうすぐ6年目を迎えようとしています。
かつての震災を振り返り、この機会を機に震災に備えておかれることをオススメします。
また、震災時。備蓄がなくて買い物が出来る状況なら、
- 明かり:懐中電灯、ロウソク、ライター
- 煮炊きに使うもの:ガスコンロ、乾燥麺、ミネラルウォーター
- 情報を得るために:携帯ラジオ、乾電池
など、当面の生活に必要と思われるものを買い揃えましょう。
東日本大震災のとき、僕も上のようなものを買って帰宅しました。
あと、家に着いてから買っておけば良かったと後悔したのは、厚手のスリッパと軍手。
震災時、家の中は割れたガラスや陶器の欠片が散乱しており、素手や素足で片づけをするのは非常に危険です。
最低でもこれらの準備、もし備えがあるのなら安全靴やヘルメットも着用するようにしましょう。
震災は必ず、また起きます。
それが、明日なのか100年後なのかは誰にも分かりません。
ですが、人はそれに備えることができます。対策することが出来ます。
この記事をきっかけにして、多くの方が震災への備えを十分にしていただくことを切に願います。
今回、紹介しきれなかった東日本大震災の関連情報や、宮城の観光とグルメに関する話題は、こちらの▷▷宮城のおすすめ観光とグルメについて50人の口コミを集めてみた!からもご覧いただけます。
あわせてご覧いただければ幸いです。